システムは誰のため
今回の東日本大地震は、ものすごい被害をもたらし、十八万人を超える避難者を出している。
震災が起こって三週間となり、避難者の方々の生活の問題へとなってきている。
最初の一週間は、道路も通れず、孤立を余儀なくされる人々も少なくなかったが、少しずつ改善されて行っているようである。
ただ、畳二枚の所に三人が寝起きすると言うような生活は、まだまだ続きそうで、そのお気の毒な状態を想像すると、何と言っていいのかその言葉もない。
先日テレビを見ていたら、避難所では医薬品を求めているし、また、近くの救援物資の倉庫には、医薬品などあらゆる物資が届いているのに、それが、避難所に届いていないという問題を取り上げていた。
それは、避難所には、電気もなく、電話などの通信手段がなく、また、そこで、世話をされる人も少なくて、救援物資のある所まで行く事も出来ないで、ただ助けを待つばかりという。
救援物資を送る側は、避難現場からの要請に応じて、医薬品などを届けるというシステムに基づいて作業をしているため、本当に求めている人々の所にすぐに届かない状態だと言っておられた。
普通の緊急事態の場合は、そのシステムに従えば、何も問題がなかったのであろう。
しかし、今回の大地震と津波、また、原発の放射能などは、緊急事態を超えた非常緊急事態とでも言うべき災害で、かえって通常の緊急事態のシステムが足かせとなっているとのことである。
そうした事を専門に研究しておられる大学の先生が言っておられた。
「こういった時は、避難現場からの要求を待っていても得られないのだから、供給する側が出かけて行って、その願いに応えるべきだ」と。
十六年前の阪神大震災の時には、現地の要請に基づいて首相が動くというシステムにしばられて、政府の対応が遅れたことがあった。
しかし今回は以前の失敗があったので、管首相は早く動いたようである。
でも肝心の末端の所では、相変わらずシステムにしばられて、動きが遅くなったというケースが見られたという。
聖書の中にも、良く似たことが書かれている。
ユダヤ教では安息日には、働いてはならないという厳しい律法が定められている。
しかし、イエスの弟子達は安息日にひもじかったのか麦畑の麦を摘んで食べ始めた。
それを見たユダヤ教の指導者達はイエスに文句を言い始めた。
それに対して、イエスは旧約時代に食べてはならない供えのパンを食べた例を引き合いに出し、「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために作られたのではありません」と言って反論された。(マルコ2:27)
つまり、システムは人間のために造られているのであるから、非常緊急事態の時には、何が一番大切なのかを考えて、システムにしばられることなく行動すべき事を教えているように思う。
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