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2011年4月16日 (土)

教会とは

  Photo   先日の日曜日、以前私が牧会していた広島北キリスト教会の献堂式に出席させて頂いた。

 前もって平面の設計図を送ってくださっていたので、それを見ながら、立体的にどの様な会堂になるのか、色々とイメージを膨らませていたが、実際に出来上がった建物を見ると、私のイメージとは、格段の開きがある素晴らしいできばえであった。

 屋根はシルバー色の金属であって、空の青色が写ると青く光って見える時もある。

 壁は最新の外壁材が用いられており、それも日光の当たり具合によって幾分色彩が変化するようである。

 まさにモダンな建物でちょっと中に入って見たいと思うような雰囲気を持つ会堂である。

 敷地は、以前と同じ場所で面積は83坪、しかもその地形は、使い勝手の悪い変な形をしている。

 ところがその土地を最大限に活用して、少しも無駄のないように建てられていたのには驚いた。

 会堂を建てるに当たっては、教会活動のために教会員から様々な要望が出されたようである。

 それらを一つひとつ組み入れるには、よほど頭をひねらないと出来ないかったであろうと思われる。

 ところが見事にそれらを取り入れて、コンパクトに造られていた。

 さて、そこで今日は、教会と言うことについて考えて見たい。インターネットのヤフー百科事典によると「教会とは宗教団体や、その目的のための会合に用いられる建造物をさす。とくにキリスト教集団に当てはめられ、イエスキリストを信じる信徒たちの礼拝が行われる集会所は教会堂と呼ばれる」とある。

 確かに一般的には教会と云えば、塔の上に十字架があって中に入ると、いかにも荘厳な雰囲気に浸れるといった建物のイメージがある。

 しかし、聖書が教えている教会はその様なものとは全く異なるのである。

 聖書の原語では「エクレシア」というギリシャ語が用いられている。

 エクレシアとは、呼び集められた者の群れという意味であって、建造物を指した意味ではない。

 つまり大切な事は聖書が教える教会というのは、建物のことではなく、そこに集まる群れのことを言っているということである。

 初代教会においては、普通の民家で集会が行われていた。従って「家の教会」と言われていた。

 従って今日の教会堂は、そこに集まる群れが活躍しやすい為のものであって、建物が中心ではなく、群れが中心であることを忘れてはならない。

 そこに集まる群れが、キリストを中心として、互いに仕えあい、愛し合って、民に好意を持たれる状態が最初に出来た集まりであったのである。

 最初の教会では「そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれ、主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった」(使徒2:46,47)のである。 

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