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2018年8月31日 (金)

映画「カメラを止めるな」を観て

Kamerawo お盆休みの日、孫達も誰も来ないので、家内と共に、最近話題となっている映画「カメラを止めるな」を観に行って来た。

 この映画は、作られた当初は、二つの映画館のみで上映するだけだったようである。

 ところがこの映画を観た人達が、面白いと騒ぎ出して、日本全国の映画館で上映される事となったとのこと。

 そして徳島でも上映しだして1ヶ月ほどになるが、今も上映が続けられている状態である。

 この映画に出演してる俳優達は、全く無名の人達ばかりで、制作費は何と300万円だけという。

 その内容は、廃墟となった山奥の浄水施設で、狂気に駆られた映画監督が死者を蘇らせる儀式を行い、ゾンビでパニックとなった女優を追いかけ回し、リアルな表情を撮影しようとするというもの。

 前半は、この映画の題名通りで、長いNOカットのシーンで始まるものの、面白いとか、恐いとか、感動するとかいったところあまり無く、カメラを回し続けているシーンが40分以上も続くものである。

 ところが、後半では、このカメラを止めないで回し続けて行く裏側においは、どの様なトラブルがあり、出演者・スタッフがどの様に苦心し解決して行ったかが明かされていって、なるほどと言えるところに面白さがあることが分かった。

 一般の映画では、有名な俳優を用い、何億という制作費を掛けて、多大な宣伝費をつぎ込んで、上映するのが普通である。

 しかし、その様にお金をつぎ込んだとしても、それほど受けることもなく早々と上映を打ち切るものもあるが、この映画は、まさにその逆の現象である。

 この映画を作った人達にとっては、笑いが止まらないのではないか思える。

 では、どこに違いがあると言えるのだろうか。

 それは、切り口というか、アイデアの違いによって決まって来るように思る。

 如何に無名の役者であろうが、また、制作費が如何に安かろうが、今まで、誰も手を付けて来ず、気づかなかった切り口とアイデアで、作られているところが、ヒットした原因ではないかと思えるのである。

 福音伝道の面においても、人々の心を捕らえる切り口というか手段というものはないものであろうかとかと考えてしまう。

 使徒パウロはⅠコリント9:22,23で「弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです」と言っている。

 私達も、キリストの福音に目を向け、耳を傾けて下さる人々を獲得するため、よりよいアイデアを見つけ出したいものである。

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2018年8月16日 (木)

送り主は?

 Yjimage 7月の終わり頃、アマゾンから小ぶりの段ボール箱が郵便局を通して配達されてきた。

 それで、受け取り確認のサインをして受け取ってみたものの、送り主がどこにも書かれていなかった。

 自分が注文した覚えもないのに、私の名前宛の贈り物である。

 箱を開けて中を確認したら、それは、ナッツ類の小袋が並べられて入っていた。

 食べ物に卑しい私は、その小袋を開いて食べてしまったのでる。

 家内が帰って来たので聞いて見ると、家内も注文していないという。

 また末の子が仕事から帰ってきたので聞いて見ても、何もしていないという。

家内から「誰から送られて来たのか分からないのに、勝手に開いて食べてしまうなんて」とさんざん言われた。

 私も反省したが、もうどうしようもない。

 これからは、こんな場合には受け取らないようにすべきだと思った。

 ところが、一日おいて、またアマゾンから、今度は黒猫ヤマトを通して、前より少し小さめの箱が送られて来た。

 その時、私は二階でパソコンを捜査していた。

 すると家内が二階に上ってきて「またアマゾンから送り主が分からない箱が送られて来た」という。

 それで私が、受け取ったのかと聞くと「受け取ったが、箱は開いていない」という。それで私は「そんなの受け取らなければ良かったのに」と今度は私が家内に文句を言った。

 アマゾンは、ただ送るだけで、誰か送り主がいるはずである。

 しかし、その送り主が分からないと言う事は、気持悪さを覚えるものである。

 もし、悪質な方からの贈り物だと、言いがかりを付けられかねないと思った。

 それで、家内と共に、黒猫ヤマトの事務所に送られてきて箱持って行って、どこから送られて来たか分からないかと、尋ねても、私の所では分からないという。

 家に帰ってパソコンで調べて見ても、複雑で調べる事が出来かった。

 それで、子供が仕事から帰ってきた時に聞いたら、スマートホンで色々調べてくれた。

 アマゾンは電話は受け付けないが、こちらの電話番号を知らせればアマゾンの方から掛かってくると言う。

 それで、子供がこちらの電話番号を打込むと、すぐに電話がかって来たので、事情を話した。

 そして、商品の番号を知らせたところ、送り主がいるという。

 それで、その送り主に電話してくださったが、留守中で出て来ないという。
 私が、その送り主を知らせて欲しいというと、それは出来ない事になっているという。

 だが、相手に知らせているので、3,4日中にそちらに電話がかってくるという。

 もし、電話が掛かってこなければ、その品物を送り返してくださいと言う事になった。
 すると、その晩に電話が掛かって来た。

 その二つの贈り物は、同じ人からのものであり「何時も良くして下さっているので」とのこと。

 私が考えもしなかった人からの贈り物であった。

でも送り主が分かってほっとする事が出来たし、送り返さなくて良かったとも思った。
 「ひそかな贈り物は怒りをなだめる」(箴言21:14)

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