« 2018年10月 | トップページ | 2018年12月 »

2018年11月30日 (金)

百歳体操サロンに参加

02  家内は半年くらい前から、近くの公民館で毎週一回開かれている「百歳体操サロン」に参加していた。

 私は11月15日から初めて参加した。

 この集いは、鳴門市が主催するもので、健康寿命を少しでも延ばして、快適な老後を過ごして欲しいとの事だと思う。

 勿論、健康寿命が延びると、健康保険の支出も減らせると言った思いもあるとも思われる。

 私が参加する事になったのは、本年10月25日に、鳴門市主催の「いきいき百歳大交流会」が、鳴門市のアミノバリューホールで開かれた事がきっかけとなってのことである。

 その交流会は、鳴門市の各地区20ヶ所ぐらいで行われている「百歳体操サロン」に参加している老人達が、一所に集まっての交流会であった。

 内容はサロン活動の紹介や、ブースの紹介、また、いきいき百歳体操認知予防運動などを行い、健康寿命の大切さを認識して、より多くの方が「百歳体操サロン」への参加をうながすイベントであった。

 それを契機として私も「百歳体操サロン」参加しだしたのである。

 行って見ると、ほとんどが女性であり、男性は色々世話をしてくださる方と、もう一人の方と、私の3名であった。あとは20名ほどの婦人達であった。

 初心者は始まる前に、名前を登録し、そのあと、自分で血圧計を量り、時間が来たら、みんなでDVDの画像によって、主に椅子に座った状態で体を動かしていく。

 また、立って、椅子のもたれの所を持って、足を動かす運動であった。

 休憩の後、認知症予防と言う事で、若い人でも中々出来ない様な動きである。

 例えば、両手の指で、同時に数を数えるのであるが、一方は親指から折っていき、もう一方は、小指から折って数えるといった様なものがあり、色々なやり方が行われた。

 毎週違った動かし方をいくつか行うが、そうした色々なやり方のDVDが5枚あると言うが、どれも簡単には出来ないものばかりである。

 会費も要らないし、公民館も近いし、これならばと健康のために、家内と共に毎週行くことにした。

 勿論、まだ3回だけの出席なので特別なことはないが、今後続けて行くことが大切なように思っている。

 年を取ってくると、体を無理のない程度に動かすこと、また、特に足を鍛える事が大切と言われている。

 そう言った体の体操のみならず、頭の体操と言うか、脳を使うことも大切となって来る。

 勿論、どんなに努力していても、人間の寿命はどうする事も出来ない面がある。

 ただ、言える事は、努力することを怠って、その事の故に体調を崩したり、病気になったりすることだけは避けたいと思っている。

 自分でやれる事はチャンとやって、後は神に任せると、自らに言い聞かせている。

 「これからは、水ばかり飲まないで、胃のため、またたびたび起こる病気のためにも、少量のぶどう酒を用いなさい」とある。(Ⅰテモテ5:23)

このみことばによって、使徒パウロも健康に気をつけていたことが分かる。

|

2018年11月15日 (木)

阿波の十郎兵屋敷見学

 
     
_2_2

先日、大阪からk牧師ご夫妻が高速バスで来て下さった。

 初日の午後は賀川豊彦記念館とドイツ館にお連れした。

 そして次の日の午前には徳島市の川内町にある阿波十郎兵屋敷にお連れした。

 前もって電話で人形浄瑠璃の上演時間をお聞きして行った。

 すると駐車場に大型バスが5台も駐車しており、中に入ると満席状態であった。

 係りの方が折りたたみ椅子を用意してくださり、前列の隅っこではあったが座って観る事が出来た。

 そして「傾城(けいせい)阿波の鳴門」が上演された。

 実在の人物の十郎兵衛は、徳川家綱の時代、他国米(肥後米)輸入の監視役を務めていて十郎兵衛と輸送する船頭との間でいさかいが起ったという。

 肥後米の一俵と阿波の一俵は換算が違うため、船頭が差額の米を収入にすることができた。

 しかし十郎兵衛はそれを認めなかった。この一件が他国米輸入を認めない幕府の耳に入れば、25万7千石の徳島藩の浮沈にかかわることになる。

 そこで十郎兵衛一人の責任にして罪状も明らかにされないまま元禄11(1698)年に処刑されてしまったという。

 処刑から70年後、彼の悲運を元に創作されたのが「傾城阿波の鳴門」である。

 つまり阿波十郎兵衛屋敷は板東十郎兵衛の屋敷跡であり「傾城阿波の鳴門」ゆかりの地でもあるとのこと。

 ただ、人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」の十郎兵衛は架空の人物と言う。

 徳島藩のお家騒動に絡んで、盗まれた主君の刀をを詮議するために十郎兵、お弓夫婦は名を変えて身をやつし、大阪玉造に住んでいる。

 そこへ巡礼姿の娘お鶴が、はるばる阿波から父母を尋ねてくる。

 お弓は我が子と分かるが、ここで名乗り出たのではお鶴にどんな災いがふりかかるとも限らないので、涙をのんで別れる。

 しかし、お鶴の歌う巡歌にたまらず後を追うという内容である。

 私は、子供の頃から娘と母との場面を学校の学芸会や他の所で何度も見てきたが、今回は初めてゆかりの地で人形浄瑠璃を見る事が出来た。

 母のお弓と娘のお鶴の場面は、やはり感動的でつい涙が出てしまった。

 さて、聖書の中で、涙する場面は、旧約聖書の創世記のヨセフである。

 彼は兄達に奴隷としてエジプト人に売られ、色々といきさつがあるが、最後はエジプトの総理大臣となる。

 そこに饑饉が起こり、カナンの地から食糧を求めて兄たちがやってくる。

 ヨセフは自分が弟のヨセフであることを明かさないで、お前達はスパイであると厳しく責める。

 その後、実の弟ベニヤミンも連れて来させる事になるが、その時も厳しく責めつつ裏に入って涙する。

 そして最後は自らがヨセフであることを明らかにする。

 そしてその後、家族を肥沃な地のエジプト住むようにするのである。

 この聖書の話しは、傾城阿波の鳴門とは、全く逆であるが、自らを証したくてもそれが出来ないということで涙を流すと言う点では共通するところがある。

 何時の時代であっても、又、どんな国においても、人の情というものは同じであると言う事を覚えるものである。

|

« 2018年10月 | トップページ | 2018年12月 »