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2019年1月15日 (火)

新年最初の来客

 Phbase
チャーチオブクライストニュージーランド大阪教会

今年最初の聖日礼拝が終わり、午後ストーブの灯油が切れた為に、自動車でガソリンスタンドに買いに行った。

 帰って見たら、3名のお客様が来て下さっていた。

 大阪からの染谷先生ご夫妻と、鳴門に住むA姉妹であった。

 これらの方々は、チャーチオブクライスト・ニュージーランド日本・大阪教会の枝教会である徳島キリスト教会員とのことであった。

 そしてA姉妹と家内とは知り合いであったということが分かった。

 またA姉妹は昨年のクリスマスイブの日に、賀川豊彦記念館でのクリスマス会に、私と初めてお逢いしたという。

 染谷先生は、大阪の吹田市から月2回ほど、鳴門にあるニュージーランド徳島教会を助ける為に来ておられるとの事である。

 そして、いろいろお聞きしていると、染谷先生は若かりし頃、私が属していたMB(日本メノナイトブレザレン)教団のジョナサン・バーテルという宣教師から受洗されたとのことである。

 その後、教会を離れていたそうあるが、後に神学校を卒業され、今はニュージーラド教会の協力牧師として、活動されているという。

 その事から、昔のMBの先生方や、信徒の方々の名前が出て来て、大変なつかしく思った。

 また、今から9年前の、フランクリン・グラハム師の大阪大会が開かれ、徳島での決起大会が聖徒教会で行われた。

 その時、私が司会をさせ頂いたが、その集会に染谷先生も参加して下さっていて、私の事を知って下さっていたのである。

 私は、その事を初めて知って、とっても親しく感じることが出来た。

 そして、徳島での私の活動など色々と話し合ったのであるが、最後に世の光放送伝道の為にと言って献金をしてくださったのである。

 思いもよらないご訪問に驚いたが、その上、世の光の為に、献金までしてくださって、まことに有り難く思っているところである。

 そして、週末に染谷先生から、お手紙を頂いた。

 私の方から先にお礼の手紙を書かなければならないのに、向こうか先にお手紙を頂いたので、早速私からお礼の手紙を書いて送った次第である。

 考えてみたら、染谷先生は、ニュージランド徳島教会の群のことだけではなく、徳島全体の伝道について祈っておられる方であることを感じた。

 私も月に1回は大阪の小さな教会を助ける為に行かせて頂いているが、大阪全体の伝道と言った様な事は、考えても見なかった。

 ただ、群が何とか守られる事だけを祈って奉仕に出かけていた自分を恥ずかしく思わされた。

 これを契機として、今後鳴門にあるニュージーランド徳島教会の方々とも、出来るがぎり親しくさせて頂こうと思っているところである。

「私たちの間でキリストのためになされているすべての良い行いをよく知ることによって、あなたの信仰の交わりが生きて働くものとなりますように」(ピレモン:6)

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2019年1月 1日 (火)

恩師と出会う

   Spotkagawa_2  去る12月24日の午後、賀川豊彦記念館でのクリスマス会にメッセージの依頼を頂いたので、その御用を行って来た。

 その1ヶ月半ぐらい前の事だと思うが、賀川記念館の三久という方から電話が掛かって来た。

 それは12月24日のクリスマス会にメッセージをしてくれないかとの依頼の電話であった。

 その日の午後は何も予定がないので、その場でお引き受けさせて頂いた。

 後で分かった事であるが、クリスマスのメッセージをお願いする人を捜しておられたとのこと。

 それで、その方と知り合いの婦人伝道師にお聞きしたら、その方から私を紹介されたとの事である。

 クリスマス会なので、最初にクリスマス賛美とメッセージそのあと、茶菓が出て色々な演しものが発表されるという。

 それで、私も茶菓の時間には腹話術をさせて頂いた。

 集会が始まる1週間ほど前に、三久という方から再び電話が入り、私の紹介のためにプロフイールを知らせて欲しいとのことであった。

 私はパソコンにあらかじめ打ち込んでいたものを、そのままメールで送らせてもらった。

 そして、当日約30分前に行くと、待って下さっていて、三久という方から名詞を頂いた。

 「先生は徳島県立工業高校の機械科卒業と言う事ですが、実は私、その当時あの学校で国語の教師として働いており、機械科のクラスでも教えていました」とのことである。

 そして、私のクラスの二人ほどの名前もご存知で、今も年賀状などを交わしているとの事であった。

 私にとっては、驚きであったが、その先生の事は全く覚えていなかったのである。

 当時、県立工業高校は、機械、建築、土木、紡績、化学、木材工芸と言った学科があって、それぞれ専門学科の先生と共に、普通科の先生もおられた。

 専門学科の先生は、大体顔は覚えていたが、普通科の先生は、年ごとに変わるし、その時間の時だけお会いするので、特徴ある先生以外は覚えていなかったのである。

 クリスマス会が始まり、三久先生が私の紹介をしてくださった。

 先生は、私のプロフイールを見て知ったと前置きし「大山先生は私が工業高校時代の教え子であり、当時の工業高校機械科は、非常に優秀なクラスであった」と大げさなぐらいにほめてくださった。

 私としても意外であった。64,5年前に教えてくださった先生にお会い出来るなんて考えても見なかったことである。

 三久先生は、クリスチャンとの事であるが、賀川豊彦記念館は、クリスチャン、ノンクリスチャンを問わず、賀川先生を尊敬されている方々によって、NPO法人として運営されているので、ほとんどの方が、ノンクリスチャンとの事であった。

 それで、私は聖書から、キリストの御降誕の意義について語らせて頂いた。

 また腹話術でも、福音を織り込んだ内容を話すことが出来た。

 徳島の地に帰って来たが故に、恩師との出会いが可能となった訳で、あらためて主に感謝した次第である。

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