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2019年2月15日 (金)

もったいない

 Photo  私は、2016年4月に前立腺癌と言うことが分かり、それから薬によって治療を続けている。

 ただ、薬は、3ヶ月に1回、腹部に注射、そして毎日毎食後に、飲み薬を飲んでいる状態である。

 その結果、やたらと汗をかくようになった。

 ちょっと暑いと感じたら、すぐに首から頭にかけて、どっと汗が出て来る。

 従って、いつ汗が出ても、いつでも汗をぬぐうことが出来るように、近くにタオルを置く事にしている。

 主治医に話すと、それは薬の関係であるとの事。

 寝ている時にも汗が出て来る。でも、寝る時、肩を冷やすと、寒くて寝られない。

 しかし、アゴの下の喉ぼとけあたりを温かくしておくと、汗が出てきて困ってしまう。

 そこで、肩は毛布で覆うようにするが、アゴの下あたりは、少し開いて空気に当てる様にしている。

 でも、普通の毛布でそうすることが中々難しい。

 従って、夜中に何度も目がさめて毛布を色々工夫していた。

 その時、首の部分がえぐられているよな毛布があればと思う状態であった。

 それで、家族にその事を話すと、息子がスマートフォンで調べてくれた。

 するとその様な毛布が売られている事が分かった。

 そして値段を調べてもらったら、手頃のものが4500円ぐらいとの事であった。

 それなら買えないこともないので買おうかと思っていた。

 そう考えている時、節分に食べる恵方巻き寿司が売れ残って、大量に廃棄されいるという事がテレビで取り上げられていた。

 それを見ていて「ああ!もったいない」と思わずにはいられなかった。

 でもその時、自分が毛布を買おうとしている事に目を向けて見た。

 我が家には沢山の毛布がある、まだ使ったことのないものもある。

 それなのに新しい毛布を買うことは、もったいないのではと思うようになった。

 現在使っているものの首の部分をえぐり取ってその部分に布を当てて、縫えば使えるのではないかと考えた。

 別に来客に使ってもらう物でもないし、自分だけが使うのだから、それほどきっちり出来ていなくても何ら問題がないと思った。

 それで、えぐった後の切り口を縫うテープを家内と共に買いに行ったが、それほど巾の広いテープは打ていなかった。

 そこで、家に帰って現在の毛布のヘリの色とよく似たような布は無いものかと探していたら、丁度同じような色のタオルを見付けた。

 それを家内の頼んでそのタオルを斜めに6㎝ぐらいの広さに切って、切り口に縫い付けてもらった。

 すると、売り物の様な出来ではないが、それなりの物が出来上がった。

 その毛布を用いてからの夜は、とても楽になった。

 なんでもっと早くからこの事をしなかったかと思うほどである。

 イスラエルの民が出エジプトの後、荒野での生活が始まった時、神は天から必要なだけのマナが与えられた。

 余分に集めたマナは、くさって食べられなくなった。神様はイスラエルの民に対して、物を大切にすることを教えておられた様に思える。

 今回の毛布の事から、もったいないと言うこと改めて教えられた。ハレルヤ!

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2019年2月 1日 (金)

あきない話

 Photo 私は、ほとんど毎週サンテレビで放映されている。「大忠臣蔵」というドラマを録画しておいて欠かさず見ている。

 もう随分昔に作られたものであるが、毎週1回の1年間のシリーズものとして作られたドラマのようである。

 去年の1月から放映しだしたが、野球中継の関係で、放映されない週もあって、まだ続いている状態である。

 主役の大石内蔵助は、三船敏藏である。

 「忠臣蔵」と呼ばれるこのドラマの筋は、あの殿中松の廊下の刃傷(にんじょう)から始まって、赤穂城の無血開城、山科での大石の放浪ざんまい、浪士たちの江戸での苦労話。

 そしてハイライトの本所吉良邸への乱入、さらに泉岳寺への引き上げシーンや切腹まで、おおかたの場面は決まっている。

 しかし、筋書きが決まっていても、あきることなく見ている状態である。

 12月になったら、あちこちの局で忠臣蔵のドラマが放映されるが、それらも出来るだけ見るようにしている。

 ただこの「大忠臣蔵」は、50回程の長丁場なので、どこまでが真実かは分からないが、細かい所まで詳しく演じられているものである。

 従って、あの赤穂城の無血開城はどの様に表現しているかとか、浪士たちの江戸での苦労をどう表しているかなどに興味をもって見ている状態である。

 勿論、そこから、統率者として大石内蔵助、また彼の先を見る落ちついた態度と言った人間的な魅力にも教えられる所がある。

 そうしたところから忠臣蔵ドラマは私にとって「あきない話」となっている。

 「あきない話」と言えば、もう一つ、イエスキリストの物語も、何度聞いても「あきない話」と言うことが出来る。

 クリスマスのヨセフやマリアの驚きと喜び、イエス様の慰めの福音の広がりと、パリサイ派との対立、驚喜する癒やされた病人とその家族。

 そして十字架へとたたみかけるように事件が連続する受難物語、また、信じられないようなイエス様の復活の報告まで、全部話しの筋書は承知していながら、何度聞いても飽きないのは不思議である。

 同じ「あきない話」と言っても、忠臣蔵は日本だけの、しかもやや年輩の者だけの、さらに12月だけの“歴史ドラマ”と言える。

 しかしイエスキリストの物語は、世界中の老いも若きも、ことばが違い、人種が違い、政治体制が違っていても、一年中、あきることなく話し続けられ、あきもせずに喜んで聞き嗣がれている物語である。

 そう考えてみると、イエスキリストというお方は、すごいお方であると言わざるを得ない。

 忠臣蔵の物語には、引きつけられる所があっても、私自身を造りかえてくれる程の力はない。

 しかし、イエスキリストの物語は私のみならず、家庭を造りかえ、町を造りかえ、国を造りかえていった歴史がある。

 イエスキリストの物語は、まさしく福音の物語である。

「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名の他には、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです」 (使徒の働き4:12)

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