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2019年2月 1日 (金)

あきない話

 Photo 私は、ほとんど毎週サンテレビで放映されている。「大忠臣蔵」というドラマを録画しておいて欠かさず見ている。

 もう随分昔に作られたものであるが、毎週1回の1年間のシリーズものとして作られたドラマのようである。

 去年の1月から放映しだしたが、野球中継の関係で、放映されない週もあって、まだ続いている状態である。

 主役の大石内蔵助は、三船敏藏である。

 「忠臣蔵」と呼ばれるこのドラマの筋は、あの殿中松の廊下の刃傷(にんじょう)から始まって、赤穂城の無血開城、山科での大石の放浪ざんまい、浪士たちの江戸での苦労話。

 そしてハイライトの本所吉良邸への乱入、さらに泉岳寺への引き上げシーンや切腹まで、おおかたの場面は決まっている。

 しかし、筋書きが決まっていても、あきることなく見ている状態である。

 12月になったら、あちこちの局で忠臣蔵のドラマが放映されるが、それらも出来るだけ見るようにしている。

 ただこの「大忠臣蔵」は、50回程の長丁場なので、どこまでが真実かは分からないが、細かい所まで詳しく演じられているものである。

 従って、あの赤穂城の無血開城はどの様に表現しているかとか、浪士たちの江戸での苦労をどう表しているかなどに興味をもって見ている状態である。

 勿論、そこから、統率者として大石内蔵助、また彼の先を見る落ちついた態度と言った人間的な魅力にも教えられる所がある。

 そうしたところから忠臣蔵ドラマは私にとって「あきない話」となっている。

 「あきない話」と言えば、もう一つ、イエスキリストの物語も、何度聞いても「あきない話」と言うことが出来る。

 クリスマスのヨセフやマリアの驚きと喜び、イエス様の慰めの福音の広がりと、パリサイ派との対立、驚喜する癒やされた病人とその家族。

 そして十字架へとたたみかけるように事件が連続する受難物語、また、信じられないようなイエス様の復活の報告まで、全部話しの筋書は承知していながら、何度聞いても飽きないのは不思議である。

 同じ「あきない話」と言っても、忠臣蔵は日本だけの、しかもやや年輩の者だけの、さらに12月だけの“歴史ドラマ”と言える。

 しかしイエスキリストの物語は、世界中の老いも若きも、ことばが違い、人種が違い、政治体制が違っていても、一年中、あきることなく話し続けられ、あきもせずに喜んで聞き嗣がれている物語である。

 そう考えてみると、イエスキリストというお方は、すごいお方であると言わざるを得ない。

 忠臣蔵の物語には、引きつけられる所があっても、私自身を造りかえてくれる程の力はない。

 しかし、イエスキリストの物語は私のみならず、家庭を造りかえ、町を造りかえ、国を造りかえていった歴史がある。

 イエスキリストの物語は、まさしく福音の物語である。

「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名の他には、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです」 (使徒の働き4:12)

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