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2019年3月30日 (土)

平成の時代

  Photo クリスチャンにとっては元号は関係のないものと思いますが、日本人として考える時に、平成も一つの時代であったと言うことが出来るのではないかと思います。

 それで、平成という時代は、どう言う時代であったかと言うことを考えて見ますと、第一は、戦争の無かった時代であったと言えます。

 日本では、戦争によって外国人を一人も殺さなかったし、また日本人も一人も殺されもしなかったと言うことは評価すべき事ではなかったかと思います.

 第二に、コンピューターが小型化が進んで行って、情報があまりにも多く飛び交う時代となったと言う事です。

 第三に、大災害の多かった時代であったと言う事が出来ます。阪神大震災、そして、東北大震災とそれにともなう、原発事故による放射能災害また、熊本地震、北海道の地震、また各地の集中豪雨による被害など、大災害が次から次へと続いたように思います。

 ではキリスト教会にとって、この平成時代はどんな時代であったのかと言うことを考えて見ますと、平成の時代はキリスト教会にとっては、低迷の時代と言えるのではないかと思っています。

 どう言った点から言えるかと言いますと.

1,高齢化して行っている状態の様に思います。子供や若者が教会に寄りつかなくなったと言うこと、その為に教会は、人数が減り、低迷していると言えます。

 2,献身者になる若者も少なくなっていっていると言うこと。どこの神学校でも生徒数が減ってきていると言うことです。ただこの事は、キリスト教会のみならず、仏教の世界でも同じ傾向の様であります。

 3,大衆伝道者達が、いなくなっていった様に思います。本田弘慈先生や羽鳥明先生また滝本明先生と言った、日本全国をかきめぐってくださる様な先生がいなくなったように思います。

 4,教会低迷の原因の一つに考えられることですが、オオム真理教が、地下鉄サリン事件を起こして、多くの日本人は「宗教はおっかない」という思いを日本人の心の中に持たせた様に思います。

 そうした低迷の時代にクリスチャンとして、また牧師として生かされていると言うことは、責任の重さを覚えるものです。

 そしてまた、そうした中で、ラジオの放送伝道の働きに携わらせて頂いている訳ですが、私は、現在でも、ラジオを真剣に聞いて下さっている方がいる限りは、続けなければ行けないと思っています。

 と言うのは、他に良い方法が見つかっていないからであります。

 もし、もっと効率の良い方法があるのならば、放送伝道を辞めてそちらの方に鞍替えすれ良いと思いますが、見つかって言ない以上、「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」との、主の大宣教命令を思う時に、簡単に辞めるべきでは無いと思っております。

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2019年3月16日 (土)

畑を借りる

   Photo  去年の夏の終わり頃、家の近くのお百姓さんが、年で仕事が出来なくなり、何枚もある田んぼが草ボウボウとなってるし、また、野菜を作っていた小さな畑も草が生えたままになっていた。

 それで、その小さな畑で、野菜を作らせてもらえないか、どうか訪ねて見た。

 しかし、その畑は持ち主がもう一人の兄弟との共同の名義となっているみたいで、断られてしまった。

これも主のみこころかと、野菜作りを諦めていた。

 ところが、先週の日曜日、板野町から礼拝に出席しておられる姉妹が「我が家の裏手にある田んぼの片隅の土地を使ってくれないか」と言ってくださった。

 詳しくお聞きすると、田んぼも長年誰も使っておらず、その片隅での野菜畑も使っていない。

 それで、知り合いの方に、野菜畑を耕耘機で掘り起こしてもらったので、その部分を利用してもらえないか」と言うことであった。

 そして、礼拝からの帰りに「畑の広さは、この駐車場ぐらいだ」と言われた。

 それぐらいならばと言うことで、借りることにして、その週の火曜日に、家に置いてあった石灰を車に積んで家内と共に見に行って来た。

 その畑は、姉妹の家から細い裏通り数十㍍東に離れた所にあった。

 行って見ると、随分広い田んぼの片隅に野菜用として区切られていた畑であった。

 また、道が狭いので、道路際に車を駐車出来ない状態であった。

 畑は道から一段下がっていたが、耕耘機を畑に入れる為か、土を盛って段差を無くしている所があった。

 しかし、道の南側は、ブロック壁があり、バックして、その畑に入れるのにも、前、後を誰かに見てもらわないと、入れる事が出来ない状態である。

 そして、持参した一袋の石灰を畑に蒔いたが、到底足りない量であった。

 畑は百坪は優に越える広さの様に思える。

 そこで、その週の木曜日に、再び家内と共に、クワ類やスコップなどを持参して行った。また、駐車しいやすくする為に、家にあるブロックも持って行た。

 誰かに見てもらわないと駐車出来ないのでは、一人で行くことも出来ないからである。

 そして、何とか、駐車しやすいようにし、その後、家内に石灰や牛糞を蒔いてもらった所を、クワで耕していった。

 所が、雨上がりの勢か、土がねばくて、なかなか粉なれない状態である。

 この広い畑をクワを振り上げて耕していくことは、体力敵に到底無理であると思った。

 でも気持ち的には、折角耕して下さった所は出来るだけ利用させてもらいたいという思いはあっても、無理をして寝込んでしまっては、元も子もなくなってしまう。

 家内は、中古の耕耘機を購入したら言ったが、買ったとしても、それを保管する場所もない。また、今後どれだけ長く作れるか、その見込みもない。

 畑をすべて使いこなせなくても、無料で貸して頂けた事を感謝して、自分の体力を考えながら、無理のない程度に利用させて頂こうということになった。

「それで、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。」(Ⅰコリント3:7 )

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2019年3月 1日 (金)

雨漏りの修理

 Photo  去年10月の末頃に二階の部屋南東部のタンスを置いている後ろの壁紙が一部剥がれかけているのを見付けた。

 これは雨漏りの為だと気づいて、タンスの上に置いてあった、段ボール箱をのけてみたら、壁紙が見事に剥がれていることが分かった。

 わずかの雨漏りが壁の所に落ちてきて壁紙を剥がしていったようである。

 見付けた以上、早く修理をと、電話帳で屋根屋さんを探して電話した。

 するともう主人が年を取って今は行っていないとのこと。

 では、修理を引き受けて下さる業者を教えて頂けないかと願うと、その方の近くにある工務店を紹介したくださった。

 その工務店は、全く初めての所であるが、そこに電話したら、何日か後に、屋根専門の方をお連れして、調べに来て下さった。

 長いハシゴで屋根に登り写真を撮って見せて下さった。

 我が家は、南北に長い二階建ての家で、南は屋根の棟が二つに分かれていて、その南側の屋根のセメント瓦が何カ所か割れていて、そこから漏れているとのことであった。

 修理するには、南側の屋根と棟をすべてやり直さなければならないとの事である。

 だが、我が家は南と西の屋根にソーラー発電のパネルを取り付けているので、剥がした瓦を置く場所が無い。

 それで、いっそのこと、この際、新しく焼瓦で張り替えたらとのことであった。

 素人の私にはよく分からないので、言われる通りお願いすることにした。

 すると暫くして、屋根屋さんが来られて、とりあえず雨漏りを止める為に、割れた瓦をコーティングしておきますと言って、雨漏りを止めて下さった。

 そして、いつ来られるか待っていたが、仕事が忙しいのか中々来て下さらない。

 そして新しい年となり、2月に入って、足場作りの職人が、足場を組み立てて下さった後、屋根屋さんの修理が始まった。

 そして南側の屋根を全面的にやり直して下さったのである。

 剥がれた壁紙の方は、来週に修理して下さることになっている。

 今回屋根の修理を引き受けて下さった工務店の社長さんは、我が家の一軒おいた隣に、一人で住んでおられるご婦人と同級生であるとのこと。

 そのご婦人とは何時も仲良くさせて頂いている間柄である。

 鳴門に引っ越した当初、飛び入りの業者に、屋根瓦のコーティングをお願いしたら、法外な値段であった事があった。

 しかし今回は地元の業者なので、安心してお願いする事が出来て本当に感謝であった。

さて、聖書の中には、雨漏りについて書かれている所がある。

 箴言27章15節には「長雨の日にしたたり続ける雨漏りは、争い好きな女に似ている」とある。

 長雨で止まらない雨漏りは、どんなに困ったことであろう。

 争い好きな女性は、その雨漏りに匹敵すると言われている事は、面白いと思う。

 今も昔も、その様な女性は、嫌われ者であったと言うことであろうか。

 とにかく雨漏りの修理が終わってほっとしているところである。

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